【雑感】「3人のレンガ職人」と「働き方改革」
「3人のレンガ職人」という有名な話があります。
同じことをしても、その目的の持ち方によって人生は変わってくるというものです。
話は次のような内容です。
1人の旅人がいました。
ある町外れでレンガを積んでいる一人の男に出会います。
旅人は、その男に
「ここでいったい何をしているのですか?」
と尋ねます。
「何って、見ればわかるだろう。レンガ積みに決まっているだろ。」
その男と別れて、少し歩くと、レンガを積んでいる別の男に出会います。
旅人は尋ねます。
「ここでいったい何をしているのですか?」
「俺はね、ここで大きな壁を作っているんだよ」
旅人は、また、もう少し歩くと、別の男がレンガを積んでいるのに出会います。
また聞きます。
「ここでいったい何をしているのですか?」
「俺たちは、歴史に残る偉大な大聖堂を造っているんだ!」
さて、この3人の男の中で生き生きと楽しそうにレンガ積みという仕事をしていたのは誰でしょうか。
予想はつくと思います。
生き生きと楽しそうに働いていたのは、「歴史に残る偉大な大聖堂」と答えた「3人目の男」です。
同じことをしていても、その目的をどのように認識し、行動に移しているかによって、働き方が変わり、人生が変わってくるということをこの話は伝えています。
イソップ寓話の中の一つだという説もありますが、出典元ははっきりしません。
はっきりしませんが、とても大切なこととして私たちの心に伝わってきます。
例えば、教師が日常的に行う採点業務ということについて考えてみましょう。
ある教師は「〇×を付けさえすればよい」と考えていたらどうでしょうか。
それは機械的でマンネリに陥るようなある種苦役と映るかもしれません。
ある教師は「〇×を付けることで、子供の成績を付けること」というふうに考えていたらどうでしょうか。
子供の成績に重きはあるのですから、「成績が良い」「成績が悪い」といった成績重視に子供を評価しがちになるかもしれません。
ところが、ある教師は「〇×を付けることを通して、子供の考え方やつまずく原因を把握し、次につながる教育を構想していきたい」と考えていたらどうでしょうか。
〇×を付けることが機械的ではなく、ある種教師の生きがいにつながっていくことになるかもしれません。
教師の働き方を考えていくとき、業務を削減していくことに重きが置かれている気がします。
しかし、現場の教師は今までの業務一つ一つの中に他の人には伝わらない「教師としてのやりがい」を感じているかもしれないのです。
一人一人の教師の楽しさややりがいを考慮しない働き方改革はうまくいかないのではないかと思ってしまいます。