【雑感】新しい年度が始まる
退職して1年、新しい年度が始まった。1年経って思うことは、教師としてもっとやれることはあったのではないかと言うことだ。本当は、かっこよく「もうやり残したことはありません。私のすべてを出し切って教職人生をやり切りました」と言いたかった。しかし、そうはならなかった。心のどこかにやり残し感と言うのがある。
神様が一つだけ教師としてさせてくれるとしたら私は何をするだろうか。やはりそれは子供をよりよく変えたという事実を作り上げることだ。学校を変えるではない。子どもを変えるということだ。学校が変わったから子どもが変わるではない。子どもが変わるからこそ、学校が変わるのだ。教育の第一歩とは、子どもの何気ない日々の言動をほんのちょっぴりでもよくすることだ。
4月1日。多くの学校ではクラス発表や担任発表が行われる。子どもばかりでなく、親もわが子のクラスや担任が誰になるのかを気にしているものだ。「〇〇先生でよかった!」「〇○さんと一緒だ!うれしい!」等と発表のある学校玄関前では多くの歓声が上がることだろう。そのときに「今度の〇○先生、やだなー」「〇○先生だから、はずれね」等と否定的な言葉を言われたくないものだ。
やはりそこには、前年の教師としての成果が問われることになる。教師として何をしてきたのか、どんな事実を積み上げてきたのか、どのように日々子どもや保護者と接してきたのか。そういうことの結果が、玄関前での発表における歓声につながる。
一人一人の子供を大切にすることだ。愛情深く接してあげることだ。全ての子供に1日に一回は必ず声をかけよう。目を合わせよう。1日に間に、必ずすべての子供のノートに目を通そう。一人一人の子供の声を聴こう。そうしたことが教育の前提にあって、学級の組織づくりや活動づくりが真に意味のあるものとなり、日々、教室には数多くの事実が生まれていくのである。