【雑感】学校や教師は変われるのか
臨時休業期間。
先生たちは子供たちの学びを止めないために頑張ってきた。
例えばプリントを準備し子供たちの家に郵送した。
それも1枚や2枚じゃない。
多量のプリント。
それを用意するために時間をかけて印刷し、帳合いし、綴じてきた。
そして、子供たちがしっかりやってもらうことを祈りながら、封筒に宛名を書き郵送した。
当初、家庭訪問することも止められていたのでそうせざるを得なかった。
ところがどうだろうか。
「学校は何もしない」「家庭に丸投げ」しているということで親たちからは不評となった。
それこそ大不評である。
子供がきちんとやれる家庭なら問題はない。
しかし、そうした家庭ばかりではない。
時間を決めて取り組んだとしても、10分もしないうちに子供は勉強することに飽きてしまう。
いつのまにかゲームをしだす。
その子供の姿を見て、親は怒る。
「家庭でのご理解とご協力をお願いします」と学校から来た文書に書いてあっても、子供に勉強を教える時間もなければ、子どものわからない、できない問題をどのように教えたらいいのかもわからない。
全国のどこかでは、臨時休業になっている学校がオンライン学習を始めたということがテレビニュースで流れる。
それに対して、子供の通っている学校はどうだろうか。
多量のプリントを家庭に丸投げし、担任の先生は家庭訪問さえしてくれない。
新型コロナウイルスで最初は仕方がないと思っていたが、ニュースで流れる学校との違いに、それもあまりにも大きな違いに唖然とする。
学校の存在とは何か。教師の存在とは何か。
親たちにとってあまり気にしていなかったことが、今回のことで明らかになってきた。
パンドラの箱を開けたのである。
学校や教師は今までの在り方を変えなければならない。
急激な変化が起きることに学校の教師は自覚できるだろうか。