【雑感】「個別化」と「協働化」の道
学校の教育計画、つまり教育課程をどんな教育内容を、どのように編成するのかということがとても大切なことです。教育の目指すべき目標や方針を立てられたとしても、それを具体化するとなると容易ではありません。
具体化する場合のポイントは「時間」です。どんな教育内容に何時間割り当てるのか。
時間は無限ではありません。すべての人に等しく割り当てられた有限なものです。
ですから、その「時間」というものを価値あるものにしていくことが、学校教育の教育課程に求められてきたことだということです。
今後の公教育を考えた時、非常に厄介な問題が横たわっています。
これからの教育は「個別化」と「協働化」という相反することをやっていくことが強く求められます。
そのことは、今回の新型コロナに対して学校や家庭はどうしたらいいのかということを考えた時、明確になってきたことです。
ICTを活用しながら一人一人の適性や能力にあった教育をすること。すなわち個別最適化です。これは臨時休業になったとしても家庭でも何とかできることです。
しかし、家庭ではできないこと、それは人と人とがつながり、協働でしか学べないことを学習していくということ。それが学校の役割として大切だということが意識されてきたのです。
このことを「時間」という観点で考えてみましょう。
主に学校で行う協働化の教育は、みんな一斉にするのですから、定まった時間を割り当てることが可能です。
しかし、どうでしょうか。個別化は等しく同じ時間を全員の子に割り当てることができるでしょうか。
例えば、掛け算九九。ある子は10時間でクリア。ある子は20時間取り組んでも習得できない。こうしたことが、様々な学習内容で生じるはずです。
学校では、定まった時間を割り当て、未修得部分は家庭で、と単純にできるでしょうか。
現在の履修型は、みんな同じ時間は最低でも勉強しますよ、その最低の時間勉強してくれたら、学んだことにしますよという考えです。
しかし、個別化は基本的に修得型になります。勉強した結果、目標を達成できればいいとするからです。
早くに目標を達成してしまう子と時間をかけてゆっくり目標を達成できる子。
そのことをどのように教育課程に落とし込んでいくのか。
「時間」の取り扱いをどのように考えていったらいいのか、なかなか難しい問題です。
個別化が徹底していくと、当然のようにそれぞれの子供の学習進度が違ってきます。
同年齢の子たちより2、3学年進んだ学習内容をやっている子を同じ教室に置いておくことがいいのでしょうか?
学習集団の編成や学習内容などを「時間」という観点で考えてみると難しいですね。
じっくりと考えてみたい問題です。