【自己研修通信】「集団の教育力」を発揮させるには教師の指導力が必要である

新型コロナウイルス感染症を踏まえ、今後の学校教育の在り方について、中央教育審議会で検討されています。文部科学省が出した検討用資料の「初等中等教育の本質的な役割」の一つとして、次のことを指摘しています。

国際的にも高く評価されている「日本型学校教育」は、教師が学習指導のみならず生徒指導等の面でも主要な役割を担い、児童生徒の状況を総合的に把握し、知・徳・体を一体的に育んでいる。特に初等中等教育は、学校という場や地域社会で様々な集団活動を行い、多様な他者と関わり、対話することを通じて人を育てる営みであることに留意する必要がある。

集団活動の重要性です。

きっと多くの方は、子供時代における集団活動の重要性を首肯されると思います。基本的に正しい、と私も思っています。

しかし、気を付けなければならないことがあります。

それは、集団になれば子供は「悪くなる」ということもあるということです。今から、20年程前、次のような文章を書いたことがあります。

集団は何らかの力を持っている。教師が子供たちの前に立てば、それははっきりとわかる。一人の子供に対して話していれば、それほど圧力を感じなかったことが、集団の前に立って話をするとなると、妙に心臓がドキドキし、冷や汗が出てくる。問題行動を起こした子供の担任教師と話をすると、必ずと言っていいほど「一人一人の子は悪くはないのですが」とか「集団になると悪いことばかりする」といったような言葉が出てくる。このように集団をマイナスのイメージで捉えることが多い。実際一人一人では大変物分りがよくきちんと行動できる子が、集団になることで、平気で決まりを破ったり、他人に対して迷惑をかけたりすることがある。集団の力が悪く作用するのである。

しかし、集団が持つ力というのは決して悪いことばかりに作用するのではない。学級のことに協力的な態度が取れなかった子でも、他の多くの子達が協力的な態度をとっていることから、知らず知らずのうちに協力的な態度が取れるようになっていたということもある。親や教師が教えてはいないのに、友達同士で感化しあって、優しい子、思いやりのある子にいつのまにか育っていたということもある。校風の素晴らしい伝統のある学校に入学したら、素晴らしい子供に成長したということもある。それは、一人の子にその集団の持つ力が作用するからである。

このように集団が持つ力には悪く作用することもあれば、良く作用することもある。よく作用するものを、私は「集団の教育力」と呼ぶ。集団の力を良く作用させようとすれば、当然教師の指導力が必要となる。教師の指導なくして集団の教育力が作用しない。ところが、ほとんどの教師は集団の力ということに関して無自覚である。無自覚であるから、積極的に集団の力を利用し、学級をより良くしていこうという意志が弱い。そのために学級集団の持つ教育力を育て、機能させていくことができないのである。学級を育てるということと、学級集団の教育力を高めるということとは、ほぼ同義である。すなわち教師には集団の教育力を育て機能させることが要求されるのである。

集団には、一人一人をよりよくしていく力が存在する。

しかし、時として集団は悪く機能することもある。

よりよくしていくのは、学校にあっては教師の指導力である。

そういうことを論じていました。

集団は時として荒れることもあるが、よりよく導くことを教師ができれば、大人が考えている以上の成長を遂げるができるということなのです。

「日本型教育」が高く評価されたのは、実は教師の指導力の高さだったのです。

そしてそれは、今後も学校の本質的な役割の一つとして認識されるのならば、「教師の指導力」を育てていく必要性があるのだということを意味しています。

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