【連載07】ICT活用と知的好奇心 ~誤解されている一斉指導のイメージ~
「これからの教育を考えた時、学校教育を変えなくてはいけない」
「一人一人の個性を大事にし、一人一人の可能性を開花させるようにすべきだ」
「そのためにも明治以来続けている一斉指導の転換をしないといけない」
こういったことが叫ばれる時代になっています。
大方の人たちは、こうした意見はもっともだと思われるでしょう。
私も教育は変わらないといけないと考えているのですが、どこか私の心の中にストンと落ちません。
世の中に一斉指導に関しての誤解があるのではないか、もしくは現実の授業場面をあまりにも一面的にとらえすぎているのではないかと思っています。
例えば、明治以来続けてきた一斉指導のイメージとして、先生が黒板の前に立ち、子供たちが前を向いて座って先生の話をきちんと聞いている姿を思い浮かべるでしょう。
本当に現在の教育現場で教えるときにこのイメージのようになっているのでしょうか。
正確に言うと、年がら年中、この一斉指導のイメージのような体形で子供たちは席について学習しているのでしょうか。
一斉指導だけで学校教育は行われているというように誤解されていないでしょうか。
子供たちは一年間で約200日登校します。
そして1,000時間授業があります。
この1,000時間すべてが一斉指導の体形で実施されているのでしょうか。
ご自分の子供の頃を思い出しても、そんなことはないはずです。
お隣同士で話し合ったり、グループで机を移動して学習をしたり実験したり、時には机を教室の後ろに下げて車座になって作業したり、グループごとに空き教室で楽器の練習をしたり、そしてコの字型になって討論をしたり、そんなことを思い出として持っていないでしょうか。
私の教師時代37年間で年がら年中、一斉指導だけで授業をしていた先生を見たことがありません。
学校教育の現実は、子供たちの可能性を引き出すために、さまざまな努力が、お一人お一人の先生方によってなされています。
そのことを理解したうえで、学校教育のどこを改善、もしくは改革していかなければならないのかを考えていかなければなりません。