【集団思考論】第29回 集団の最小単位「3名」での会話成立
ところで、集団とは何人からいうのだろうか。
もちろん一人で集団ということはない。
それでは二人以上いれば集団といえるだろうか。
齊藤勇氏は『人はなぜ足を引っ張り合うのか』(プレジデント社)という本の中で「みんなが君のことを批判しているよ」というときの「みんな」とは何人からなのかということについて言及している。
それによれば3人以上であれば集団からの圧力を受け、「みんな」とは3人からなのだという。
その考え方でいけば、集団の最低人数を3人というふうに言ってもあながち間違いではないだろう。
とすれば、集団思考が少なくとも成立するためには、3人で集団思考が成立しなければならないということになる。
集団における最小単位である3人というのが、グループ学習を実践していく上でのポイントである。
この最小単位「3人」で話し合い活動が成立しなければ、それ以上の人数になったとしても効果ははっきり言ってないだろう。
「3人」での話し合い活動、最低気をつけなければならないこと、それははお互いの顔が見えるということである。
それは何故か。
3人といっても一人が話をする。
その話を二人とも聞いているということは大変至難なことである。
話し手の方も誰に話した方がいいのか案外悩む時がある。
一人の方ばかり見ているわけにはいかない。
だから三人の場合であれば、三角型に座らせる。
そうしたことも大事なポイントである。
この考え方を多人数の場合に当てはめてみるとどうなるか。
それは全員の顔が見える「車座」という形である。
例えば、大変重要な問題の場合、教室の前や後ろに「輪になって話し合いなさい」と私が言って車座になって話し合わせるということもある。
ちなみにこの「輪になって話し合う」という場面を切り取って見せてくれたのが、向山洋一氏の『向山学級騒動記』(明治図書)「ごみ箱に小便をやっちゃった」である。
また、子供が自分の意見を発表するとき、ともすれば学級の他の子供たちを見るのではなく、教師を見るということがよくある。
しかし、見る相手は教師ではない。
会話成立という観点からするならば、話す相手は学級の仲間に向けられなければならない。
だからそのことを徹底するために、向山洋一氏は「指名なし討論」のときイスに座ってしまうのである。
こうしたことが実を言うと何か問題が生じたとき、子供たち自身の力だけで解決できる下地になっていくのである。