【連載48】ICT活用と知的好奇心 ~日常的にしかも継続した努力~
見栄えのいい授業というのがありました。
特に、公開研究会における授業や参加者が来る研究授業では、子供たちは活発に意見を出し合い、話し合い活動が行われていることがありました。
授業者である先生は、子供を指名せず、子供たちだけで指名しあいながら授業が進んでいくこともありました。
しかし、多くは形だけの見栄えで、ある種のイベント・お祭りのようになり、研究授業が終了すると子供たちの「内」には何も残らず、学力は低いままということもありました。
「子供たちに何の力が付いたの?」
「特定の子だけが発表して終わりなの?」
「静かにしていた子、あくびをして眠たそうにしていた子にとって、今回の授業は意味があったの?」
そんな先生たちの裏の声もよく聞こえてきました。
しかし、「本物の授業」をする先生の学級の子供たちのレベルはとても高いのです。
それはノートを見ればわかりました。
授業中にノートに書く文章の量や質でもわかりました。
前回紹介した奈須正裕氏の「必ずと言っていいほど個別最適な学びをその構成要素として含み込んでいた」という指摘はとてもよくわかるのです。
個別最適な学びには二つの要素があります。
一つが「指導の個別化」もう一つが「学習の個性化」です。
当然、学力形成にかかわる部分は「指導の個別化」という観点です。
「力のある授業」「本物の授業」をする先生たちは、目立たない部分で一人一人の子を取り残さないように、様々な配慮や工夫をしながら指導していました。
その裏での努力(それは日常的にしかも継続した努力)が、他の先生方には見えていないということがあったのです。