【集団思考論】第41回「思い重視」ではなく「事実重視」
昔からの伝統的な教育の流れの一つに「子供の思いや願いを大切にする」というのがある。
これはこれでとても大切なことだし、より一層そうした教育が進展していくことが望ましいと私も思う。
しかしである。
そこには、なんらかの限定が必要だと私は考えてきた。
一人一人が自分の心の中だけで考えているうちは、問題はない。
しかし、その思いや考えを全員の前に出す場合、何らかの制限があるのではないかと考えるのである。
それは、当初子供自身が制限することではなく、教師こそが禁欲的に考え指導すべきでことである。
「何でもいいから言ってご覧なさい」とか「自分の思いを正直に述べてみよう」とか教師は子供に言ったりする。
しかし、それは特に学級づくりの初期における一つの便法なのである。
学級づくりの初期に、話せない子にも自信を持たせようと教師が考え、子どもにアドバイスした言葉である。
「何でも言ってよい」と言って子供たちがむちゃくちゃ自分勝手なことを言い出したら、それこそとんでもないことが起きる。
そのために「何でも言い合える学級」というのを掲げながら、並行して教師は何らかの指導の手を入れていかなければならない。
それを私は「事実にこだわる」ということに置いてきた。
「思い重視」ではなく、「事実重視」ということなのである。