【集団思考論】第44回教師側の都合での指導は子供には届かない

今回紹介するのは、学校の中でよく耳にしてきた事例だ。

若い教師がいた。

理想の教育を子供たちと共に作り上げることそれを夢みて教師になった。

しかし、現実はそんなに簡単なことではなかった。

最初の頃は笑顔で過ごしていた。

一ヶ月もすると、子供たちは言うことを聞かなくなる。

教室は騒乱状態となった。

先生はどのように指導していいのかわからず、つい子供たちに言ってしまう。

「先生の言うこと、そんなに聞きたくないのですか。嫌いなんですか。そんなに嫌いだったら先生は出て行きます」

と泣きながら言って、教室に子どもたちを残し職員室に戻ってしまった。

教室に残された子供たちは話し合って、慌ててその教師に謝りに行く。

その場はそれでなんとか解決した。

ところがその後、教師の授業のやり方も子供達への接し方も何も変わらなかった。

だから、しばらくすると最初の時と同じように、子供達は教師の指示に従わなくなり、教室は再び騒乱状態となった。

教師はまた同じことをしてしまった。

つまり教室から泣きながら職員室に戻ってしまったのである。

教室に残された子供たちは自分たちで解決のための話し合いを持つ。

ところが、子供たちはさすがに二回目は、担任教師への不満を爆発させてしまうのである。

「先生って勝手だよね」

「すぐに怒るし授業もよくわからないよ」

「いつも怒られる子は決まっているよね」などなど。

もちろん、子供の中にはこの問題を解決しようとした子もいた。

しかし、大方は不満を述べる子たちの方になびいていったのである。

解決どころか、ますます学級は悪いほうに向かってしまった。

教師は、子どもたちが自分の方に向いてくれることを考えていた。

学級が改善されるのではないかと淡い期待を持っていた。

それらはことごとく裏切られたのである。

若い教師にあった思いは、子供たちが自分の方に向いてくれる事や教室を秩序あるものとするという子供の成長とは関係ないことであった。

少なくとも教室で日々起きる出来事を通して、いかに子供たちを成長させるのかという考えが教師になければならない。

自分を省みて子供たちを成長させていないのだとしたら、子供は自分の何に不満を持ち不信感を持っているのか。

そして、自分の指導の欠点や未熟な点を少しでもより良くしていくという具体的な行為へと変えていかなければならないのである。

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