【雑感】(未完)失敗だらけの人生
このサイトのアーカイブの方では、校長通信を掲載している。
何事かを書き、他人様に読んでもらおうとするとき、書いたものの中には没原稿というものも存在する。
不適切だなと思えば、やはり「没」にせざるを得ないのである。
今回紹介するのは、「没」にした原稿の一部である。
一部なら問題なしと判断して紹介してみようと思う。
これもまた私の人生の足跡の一つである。
タイトルは「失敗だらけの人生」
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◆私の人生は、失敗だらけ、間違いだらけだ。人様に偉そうに言える立場にはない。教師となっても、同じだ。その時は最善を尽くしたと思っているが、本当に最善を尽くしたのかと言われたら、首をかしげざるを得ない。
◆担任時代、討論のある授業を最高だと思っていた。学力の高い子も、低い子も関係なく、自分の考えを発表する。真剣に友達の発表に耳を傾け、そして自分なりに考え、ノートに自分の考えを書き、友達の意見の不備不足を指摘し合い、自分自身、そして学級集団として自らを高めていく。そこには教師の指名や誘導もなく、子ども集団が自ら授業を進めていく。そんな授業が理想であった。その思いは今でも変わらないのだが、討論の授業をするためには、それなりの教師としての力量が必要になる。
◆子どもの実態を無視した授業、強引な授業、教師の思いや願いばかりが先走った授業は、必ず崩れる。そうした当たり前のことを私はわかっていたのにも関わらず、担任時代、できなかった。私の見栄や傲慢さが、それを妨げたのである。
◆高学年を担任しているときだった。小学校の高学年として、子どもたちは落ち着き、しっかりとし、言うべき時には言う。教師の私が言わなくても、ノートにも自ら大事な点などを書いたり、自ら発表したり、朝は静かに学習に取り組んだりする基本的な学習習慣の身に付いた子ども達になっているはずだった。
◆しかし、現実はそんなに甘くはなかった。発達に何らかの課題を多く抱えている子が多くいた。忘れ物は多く、落ち着きがなく、友達ともトラブルが多く、すぐにキレて吠えまくる子、窓から身を乗り出し「死んでやるー」と叫ぶ子、そんな子たちが多くいた。そうした実態があるのにも関わらず理想とする授業にこだわっていた。
◆私が自分の理想にこだわればこだわるほど、子供たちの心は離れていくようだった。私は、どうしようもなくなっていた。私は、考え抜いて、いったん理想を捨てることにした。
(後略)
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こんな書き出しで始まる原稿であった。