【集団思考論】第05回 集団思考に適さない課題
私が中学生だったときの話である。
生徒総会があった。
予定されていた議題が終了し、「それ以外に何かみんなからありませんか」という議長の言葉があった。
それを聞いて、元気のいい先輩の男子生徒が立った。
「服装を自由にして欲しい」
その声を聞いて会場の生徒がざわついた。
ほとんどが「そうだ」「そうだ」という感じになった。
「この件について、他の人から意見はありませんか」と議長。
何人もの生徒から、「自由にして欲しい」という賛成意見が続出した。
その時の雰囲気で私も含めて会場にいる中学生は「もしかしたら服装が自由になるかもしれない」と思った。
最後に生徒会担当の教師が、
「これはみんなだけでは決められ無い問題です。みんなの意見を参考にしながら職員会議で決めます」
と言って、その生徒総会は終了した。
後日服装は自由にできないということが、一方的に学校側から生徒へ伝えられた。
中学生である私がその時に感じたことは「一体生徒総会とは何なのだ。教師たちの下請け機関で自分たちの思い通りにはならないのだ。そうだとしたら発言したって、話し合ったって無意味じゃないか」ということであった。
この場合教師はどうすべきであったのか。
集団思考に適する課題と適さない課題があるということを、教師側は押さえておく必要があるということである。
生徒の意見を尊重し「制服自由化」の方向性もあるだろう。
しかし、最初に生徒に話し合わせることで無用の混乱を生じてしまうこともあるのである。
何でもかんでも、子供たちに話し合わせればよいということではないのである。
例えば、「お金」に関する問題。
学級で子どもたちがイベントを企画する。
教師が黙っていれば、子どもたちは一人ひとりからお金を徴収してイベントを実行しようとすることがある。
かりにその額がわずかだったとしても、お金に関する問題はなかなかやっかいである。
親からクレームが来たり、子どもの中だけでは解決のできない問題が生じることも起きる。
そうしたことを避けるためには、「お金」まで子どもに決定させてはいけないのである。
子どもの立てたイベント企画案の中に「お金」が出てきていたら、それは教師側から止めるということも時には必要である。
また、話し合いの中で「お金に関することは教師が決める」と子どもたち全員にはっきりと宣言することもある。
集団思考に適する課題とは、結局子どもの行動をどこまで教師が保証できるのかということと密接に関わってくる。
学校としての教育理念そして教育手法、これらについて明確なものを持ち合わせておくことが必須となる。