【集団思考論】第06回 差異を明確にする
今までの日本の教育は、差異を明確にしない教育の方に流れてきていた。
教育の歴史の途中では、個別化とか個性化ということも盛んに言われることはあった。
しかし、その理念も方法も現場には不徹底のまま時は流れていた。
ある種のお祭り騒ぎで、時間が過ぎれば次の課題へと飛びついていた。
教室の現実は、横並び主義であり誰か突出することを嫌う傾向が強かった。
それはある意味で教師の思想を反映したものであった。
一人ひとりの子供の能力は違う。
勉強のできる子もいれば出来ない子もいる。
足の遅い子もいれば速い子もいる。
しかも一人ひとりの考え方も違う。
当然である。
それにも関わらず差異を明確にしないことの方が、何か教育的ですらあるといった感じがあった。
集団思考を意味のあるものにしていくためには、一人ひとりの子供の考え方の違いを明確にしていくことの方が効果がある。
一人ひとりの考えに違いがあるからこそ、学びが多くなるのである。
GIGAスクール構想による1人一台端末の配置は、この差異を明確にしない教育からの脱皮につながるものだ。