【連載11】ICT活用と知的好奇心 ~管理主義が生まれる背景~

現在の学校教育のあり方を考えるには時間が一つのポイントです。

次に考えなければならないことは、限られた、制限された時間の中で何を教えるのかという学習内容を吟味していかなければならないということです。

極端な話、一年間ずっと国語では漢字だけの指導をしているわけにはいきません。

学習内容は、法的位置づけである学習指導要領に明記されており、それに従わざるを得ないのです。

時間と内容がほぼ決まっている。

ということはそこに教師の腕の見せ所があるということを意味しています。

それこそ、教師には技量が必要だということです。

ある学習内容では、効率性を意識し取り組み、ある学習内容ではじっくり取り組むというように、教師が子供たちの状況を的確に把握(実態把握)し、教える内容に軽重をつけながら実践していかなければなりません。

ところが、全員の教師の技量が高ければ何も問題はありません。

現実は、技量の低い教師もいます。

学級崩壊を毎年のように起こし、子供からも保護者からも信頼されていない教師もいます。

そうした事案があると、教育委員会。学校管理職としてもある意味管理的にしていかざるを得ないのです。

「これはダメ。あればダメ。自分勝手なことをしていないで、他の先生方と同じことをしなさい。共通理解・共通行動それが大切です」

これが管理主義へとつながります。

学校教育・教員の同質性を求めることで、ある程度の教育を担保できます。

しかし、このことで失ってきたことの大きさを考えざるを得ません。

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