【集団思考論】第21回 問題を一人一人のものとする・その2
私は、列指名で5名の子に問いかけた。
5名の子の考えを発表させるために起立させると他の子も緊張するのが私に伝わってきた。
教室中が張り詰めた雰囲気になった。
私は問いかけた。
「どうして、立候補しないのですか?」
5名の子はしばらく考えている。
ある子が「野球部もあるし、やっていけるか不安なんです。立候補したい気持はあるんだけど・・・・・」
ある子は「自信がないんです。やっぱり立候補したいんだけど・・・・・」と答えた。
それを受けて私は次のように学級全体に語り掛けた。
先生は、二人の発言はりっぱだと思う。
それは、悩んでいるからだ。
他人事に思っていないからだ。
オレとは関係ない、私とは関係ない、なんて思っていないからだ。
何度も言うようだが、やる気が大切なのだ。
やる気があるからこそ、人は成長するのだ。
自分の問題として考えて、その結果立候補しない、というのなら先生はわかる。
もし、そうでなく、何も悩まず誰かがやってくれるだろうなんて思っているのだったら情けないと思う。
教師が「誰か立候補する人はいませんか」と子どもたちに尋ねて、何人かが立候補すればほとんどはそれで終わりである。
はなから立候補するつもりのない子たちにとって、「誰か立候補する人はいませんか」と聞かれたところで他人事である。
自分にとってはどうでもいいことなのである。
だからかりに何人かが立候補してくれたらそれで無事にすむと思っている。
そうした考え方に教師がゆさぶりをかける。
「どうして、立候補しないのですか」
と子どもたちに投げかけることで、学級全員にとって自分自身の問題としてとらえさせることをする。
その教師の問いかけで一人ひとりの子ども達は真剣になる。
児童会役員選挙立候補という問題が、一人ひとりのものとなる。
「集団思考」を問題解決のために生かしていくためには、この「問題を一人ひとりのものとする」ということがどうしても必要である。
そして、そのことに気が付き指導できるのは、ほとんどの場合教師しかいないのである。
※今、この実践を振り返って考えてみると、児童会役員選挙という学校の仕組みや「子供を追い詰めすぎない」という観点に立った時、もっと違う方法で「問題を自分事にする」ということを具現化できるのかもしれない。