【集団思考論】第22回 「心の問題」は結論を求めない
私が執筆した本に『生きる力が育つ生活指導10の原則』(明治図書)というのがある。
この本は、生活指導で困っている教師、教師の指導を新しい教育に向けてどのように変えていったらよいのか不安に思っている教師、そうした教師向けに書いた本である。
「心の教育」という言葉がある。
非行の凶悪化・多様化、いじめ・不登校、そして学級崩壊等の問題が大きくクローズアップされるたびに、子ども達には「心の教育」が必要であると多くの方は主張してきた。
現在は「心の教育」というのはあまり言われなくなってきているが、「心の教育」の必要性は以前にも増して強まっている感じがする。
しかし、私が今教師であったら、目の前にいる子ども達に「心の教育」をしようとしたら悩まざるをえないだろう。
どのようなのが「心の教育」なのか。
「心の教育」とは一体何を子ども達に指導することなのか。
今私が子ども達にしていることは「心の教育」ではないのか。
こうした問に対して私なりに答えようとしたのが『生きる力が育つ生活指導一〇の原則』であった。
その本の中で最初に私が持ってきたのは、「行動化の原則」である。
「心の教育」を現場の教師が読み解くキーワードが「行動化」ということであると私は考えた。
子ども達の日々起こす問題行動を「心の問題」として対処するのではなく、「行動の問題」として対処することの方が重要である。
例えば、忘れ物を繰り返しする子。
それを「心の問題」として担任教師が対処すれば、「何故、君は忘れ物が多いのだ。それは君がだらしないからだ。心が弱いのだ」と子供の人格を非難する。
しかし、「行動の問題」として対処すれば、
「君は、いつ、どのように時間割を調べているのかな。その方法を変えないとまた忘れ物をしてしまうよね。忘れ物をしないようにするためには、どのようにしたらよいか考えてみよう」
また、その子の行動に則して、適切な行動ができるようにアドバイスできるかもしれない。
どちらが教育的なのか。
それははっきりしている。
教育の世界において昔から「為すことによって学ぶ」という言葉がある。
「行動」ということに着眼すること。
それは今後の教育においても大変重要なことである。
今回の連載における「集団思考」でも「行動」が重要であることを私は論じてきた。
それなら「心」はどうでもいいのか。
そんなことはない。
私が言いたいことは、「行動」を切り口としながら「心」に迫っていくということ。
直接指導できるのは、「行動」であり、「心」は指導するというのではなく、養い育てていくという方が当たっているということである。
だから、「心」を扱う「集団思考」では無理に結論を求めない。
一人一人の感じ方や思いを大切にする。
そして、それらを交流させること。
それがポイントになる。
そのためには、一人ひとりが真剣に考えること。
抽象的な問題ではなく、事実をもとにして考えあうこと、意見を発表しあうことが大切になる。