【雑感】「熟達者」の見える世界
中村捕手の「要求したスライダーがスローモーションのようにミットに入った」という言葉。
中村捕手には、違う世界が見えたのだなと思った。
ブルペンでも大谷選手の投球をキャッチしたことがなかったという。
極度の緊張感の中で見えた世界。
それは「熟達者」のみが見える世界だ。
この言葉を聞いて思い出したことがある。
中学校の校長をしていた時のことだ。
私は、スケートでよい成績を収めた男子生徒に
「違う世界が見えた?」
と訊いたことがあった。
男子生徒は
「はい、見えました」
と断定的に答えてくれた。
彼は、中学三年生。
小さいころから、スケートに取り組んできた。
極寒のときは氷点下20℃近くになるこの地域で、真面目にこつこつとスケートの練習に励んできている。
学級の中にいれば目立つ生徒ではない。
どちらかといえば無口。
悪口を言ったり、人の嫌がることは決してせず、友達から嫌われることもない。
スケートの500m。
この500mで38秒をきって37秒台になると見える世界が違うということをある校長先生が私に教えてくれた。
ちなみに37秒台は、オリンピックの女子選手の記録である。
37秒台が、中学生男子の全国トップクラスの戦いの記録ということだ。
その生徒は、全国中学校スケート大会で、本人にとって初めてとなる37秒台を記録した。
その彼が全国大会の報告に校長室に来たとき、「違う世界が見えた?」と訊いてみたのだ。
いつもなら多くを語らない彼が、「はい、見えました」と嬉しそうに語る。
「カーブのときの遠心力が違って、外側に持っていかれそうになりました。38秒台で滑っていたときとは違う感覚がありました」
話を聞きながら、彼は普通の世界とは違う世界を見れるという熟達者になったのだと私は思った。
彼はスケート競技の熟達者となったのだな、私はうらやましい気持ちになった。
その私のうらやましさは決して嫌な感情ではない。
何かまぶしい感情なのだ。